📊 3行サマリー

  • ベトナム中部ダナンで5月22〜24日、「ホイアン・日本文化交流祭」が22回目の開催。日本語教室・書道体験・コスプレ大会が並んだ。
  • ホイアンと日本の縁は約400年前の御朱印船貿易にさかのぼる。古都の象徴「来遠橋(日本橋)」の修復は昭和女子大・東洋大・JICAなどが担い、2024年8月に完成した。
  • 400年前に長崎へ嫁いだベトナム王女「アニオー姫」の物語は、2026年9月に横浜のKAAT神奈川芸術劇場で全20公演のミュージカルとして上演される。

📝 ホイアン・日本文化交流祭が22回目、ダナンで5月22日に開幕

ベトナム中部の都市ダナンで、5月22日の夜に「第22回ホイアン・日本文化交流祭2026」が始まった。会期は5月24日まで。舞台になるのは世界遺産の古都ホイアンで、行政区分の再編により、いまはダナン市の一部になっている。

会場にはベトナムと日本の芸術家・職人が集まり、伝統芸能の上演、民俗遊び、書道体験、日本語教室、写真・陶芸の展示が並んだ。今年はコスプレ大会も加わっている。開幕式では、17世紀にホイアンへ渡った長崎商人・荒木宗太郎と、ベトナム王女・玉華(ぎょくか)の婚礼行列を再現する演目も披露された。日本のアニメ文化を映すコスプレと、400年前の婚礼行列が、同じ祭りの中に並ぶ。この重なり方が、催しの性格をそのまま映している。

📰 VietnamPlus報道:日本大使「1990年代からホイアン保全に伴走してきた」

元ネタ22nd Hoi An – Japan Cultural Exchange 2026 opens(VietnamPlus / ベトナム通信社 / 2026年5月22日)

Japan has accompanied Hoi An in preserving its ancient town since the 1990s.(日本は1990年代から、ホイアンの古い町並みの保全に伴走してきた)

これは伊藤直樹・駐ベトナム日本大使の言葉として、VietnamPlusが伝えたものだ。大使は、古都の象徴である来遠橋(チュアカウ/日本橋)の修復について具体的に語っている。昭和女子大学、東洋大学、文化庁、JICA(国際協力機構)が2022年から専門家を派遣し、修復事業は2024年8月に完成した。

祭りの起点は古い。最初の開催は1998年、日越外交関係樹立25周年に合わせた催しだった。2003年からは毎年続き、20年以上を数える。ダナン市人民委員会のグエン・ティ・アイン・ティ副委員長は開幕式で、ホイアンが16〜17世紀に世界中の商船を集めた国際貿易港であったこと、そこに日本の影響が色濃く残ったことを述べた。

🔥 始まりは400年前の御朱印船貿易と、長崎へ嫁いだ王女アニオー姫

なぜホイアンと日本がここまで結びついたのか。鍵は400年前の御朱印船貿易にある。16〜17世紀、ホイアンには各国の商人が集まり、日本人街もあった。長崎商人の荒木宗太郎は御朱印船でベトナム中部へ渡り、当時この地を治めた阮福源(グエン・フック・グエン)の信頼を得て、その娘である王女・玉華と結婚した。

宗太郎は玉華を長崎へ連れ帰る。長崎の人々は彼女を「アニオーさん」と呼んで親しんだ。この「アニオー」という呼び名には説がある。玉華が夫に向けて使ったベトナム語の「アイン・オーイ(anh ơi=いとしいあなた)」が、長崎の人の耳に残ったものとされる。異国から来た王女の私的な愛称が、町の人々の記憶に定着したわけだ。

この縁は祭りの形でいまも生きている。長崎くんち(毎年10月7〜9日)では、7年に一度、玉華の長崎入りを再現する「御朱印船」の演し物が奉納される。荒木宗太郎と玉華の物語は、ホイアンと長崎という二つの港町が、それぞれの祭りで400年語り継いできた共有財産になっている。

🇯🇵 アニオー姫の物語、9月に横浜KAATで全20公演のミュージカルへ

この物語は、近年あらためて舞台に上がっている。2023年、日越国交樹立50周年(国交樹立は1973年)を記念して、両国合同の新作オペラ「アニオー姫」がハノイ・オペラハウスで初演された。日本とベトナムの作り手が組んだ、珍しい共同制作だった。

そのオペラを土台にしたミュージカル版が、2026年9月11〜28日、横浜のKAAT神奈川芸術劇場で上演される。公演数は全20回。アニオー姫役は、3か月のオーディションを経て選ばれたベトナム人女優ドー・ファン・ザー・ハンが務める。作曲はチャン・マイン・フン、脚本はベトナム人のハー・クアン・ミンが手がける。チケットは2026年5月に発売予定とされている。

日本人にとって、この一連の動きは小さくない意味を持つ。多くの日本人は、長崎で生涯を終えたベトナム王女がいたことを知らない。御朱印船貿易は教科書に載るが、そこに国境を越えた結婚が含まれていたことまでは習わない。ホイアンの祭りも、横浜のミュージカルも、その「知らなかった一行」を、具体的な人物の物語に変えて差し出している。観光地としてのホイアンを訪れる日本人は年々増えているが、来遠橋を「日本橋」と呼ぶ理由まで踏み込む人は多くない。9月の横浜公演は、その背景を国内で受け取り直す機会になる。

🏁 22年続く祭りが映す、観光地ホイアンの「日本」という資産

第22回ホイアン・日本文化交流祭が示しているのは、文化交流が一度のイベントでは終わらないという事実だ。1998年に始まり、来遠橋の修復に大学やJICAが関わり、オペラがミュージカルへ姿を変えて横浜へ渡る。点ではなく、22年かけて編まれた一本の線として動いている。

ホイアンにとって「日本」は、観光の語り口であると同時に、町の歴史そのものに食い込んだ資産でもある。コスプレ大会で集まる若いベトナム人と、400年前の婚礼行列を見る来場者が、同じ祭りの中にいる。新しい日本文化の受容と、古い日越の縁の継承が、一つの会場で並んでいる。それが、この祭りが22回続いた理由を一番よく説明していると思う。