「聴く」を「生計」に変える——音楽委員会が打ち出した数値化された設計図

サウジアラビア文化省傘下の音楽委員会は2025年10月、元スポティファイ主席経済学者ウィル・ページ氏が執筆した「Saudi Arabia 2025 Music Report」を発表した。タイトルが示す通り、これは単なる業界分析ではない。「録音音楽市場を2034年のFIFAワールドカップ開催年までに5億ドル規模に成長させ、世界トップ20の音楽市場へ参入する」という目標を、具体的な数値と政策提言で裏打ちした計画書だ。

音楽委員会のCEOポール・パシフィコ氏はこの報告書を「聴くを生計に変えるための、数量化された計画」と表現した。2017年まで公開コンサートが禁止されていた国が、わずか7年でそう宣言するまでの変化は何を意味するのか。

元記事・原文引用

元ネタSaudi Music Commission publishes landmark study by Will Page mapping the Kingdom’s path to a world-class recorded music economy(MediaConnect / 2025年10月3日)

“Saudi Arabia’s music industry has all the right ingredients to reach half a billion dollars by the time the World Cup arrives in 2034.”

2500万人の消費者を眠らせてきた構造——禁止が解けると何が起きるか

報告書が示す市場規模の根拠は明快だ。サウジアラビアには約2500万人の音楽消費者がいる。インターネット普及率は99%に達し、人口の半数が35歳以下というデジタルネイティブ世代が市場の中核を形成する。1080万人のスマートフォン利用者を軸に、2034年までに870万〜1000万人の有料音楽サブスクリプション利用者を獲得できると試算されている。

ただし、数字が示す「可能性」と、現実の「収益」の間には制度的な空白がある。報告書が最も重点的に指摘するのは、集団的著作権管理機構(CMO)の不在だ。音楽が配信されてもアーティストへロイヤリティが適切に還元される仕組みがなければ、「聴くを生計に変える」という目標は絵に描いた餅になる。

市場開放後の歩みを数値で追うと変化のスピードが見えてくる。中東・北アフリカ地域の録音音楽収益は2023年に前年比14.4%増成長を記録し、世界平均の10.2%を大きく上回った。ストリーミングが同地域の録音音楽市場の98.4%を占め、すでにフィジカル(CD・レコード)の時代を飛び越えた。MDLBeast Soundstormは2024年の開催で45万人を動員し、中東最大の音楽フェスティバルとしての地位を確立した。これらはすべて、2017年以降に解禁されたエンタメ市場が生み出したものだ。

日本の「失われた10年」がサウジへの反面教師になりうる理由

世界の音楽市場における日本のポジションは独特だ。売上規模では長年世界2位を維持するが、ストリーミングへの移行は主要市場の中でもっとも遅い部類に入る。CDが音楽収益の大きな割合を占め続けてきたことは、有料ストリーミングへの移行コストを高め、市場成長を鈍化させてきた。

サウジアラビアはその逆を走る。フィジカルという選択肢がほぼ存在しない状態で市場が開いたため、消費者は最初からストリーミングに接続する。報告書が「通信キャリアとのパートナーシップや家族プランの展開」を勧告するのはこのためで、日本型の段階的移行ではなく、スマートフォン経済にダイレクトに組み込む戦略を採る。

一方、日本のレーベルや音楽コンテンツにとって中東市場は新たな開拓地になりうる。ユニバーサル ミュージックがインドのボリウッド制作会社の株式30%を取得したように、グローバルなメジャーレーベルはすでに新興音楽市場への投資を加速させている。日本のアニメ・ゲーム音楽は中東でも人気が高く、MDLBeast SoundstormのラインナップにはDJ版J-POPが組み込まれるケースも増えている。「5億ドル市場」が現実になる2034年までに、日本の音楽産業がどう関わるかは戦略的な問いだ。

「許可」が唯一の制約だったとしたら——規制緩和後の音楽市場が問うもの

インフラは揃っていた。若い人口、スマートフォン、インターネット——足りなかったのは「許可」だけだった、とウィル・ページ氏の報告書は示唆する。解禁から7年で45万人フェスが生まれ、10年以内に5億ドル市場を目指す計画が数値化される。この速度は、文化的規制の解除がいかに潜在需要を一気に顕在化させるかを証明している。

同様の構造は、かつて日本の音楽産業が守り続けた「CD文化」の外堀が崩れていく過程にも重なる。制約が解けた市場がその後どの速度で動くかは、業界の関係者が最も見たくない事例かもしれない。「禁止が解けた国」の音楽成長速度は、規制の存在がどれほど市場を抑制していたかを逆説的に教える。石油王国の「5億ドルロードマップ」は、音楽産業における規制と市場の関係を問い直す一つの思考実験でもある。

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