国防総省が軍施設の子どもたちから本を取り上げた——その数596冊
2025年1月、ドナルド・トランプ大統領は複数の大統領令に署名した。「多様性・公平性・包摂(DEI)の禁止」「ジェンダー・イデオロギーの排除」「反アメリカ的思想の禁止」——これらの命令が国防総省(ペンタゴン)の学校システム(DoDEA:国防教育局)に適用された結果、軍事基地の学校図書館から596冊の書籍が撤去された。
対象リストには、全米ベストセラーとなった非フィクションの名著が並ぶ。ジャーナリスト・作家のタ=ネヘシ・コーツによる『Between the World and Me(世界と自分の間に)』、歴史家イザベル・ウィルカーソンの『Caste(カースト)』、イブラム・X・ケンディとジェイソン・レイノルズの共著『Stamped(刻印——人種差別主義と反人種差別主義の歴史)』などだ。いずれも人種、歴史、アイデンティティを真正面から扱った作品であり、学校教育でも読まれてきた書籍だった。
「読む自由」を巡る戦争が、アメリカ全土で始まった。
元記事・原文引用
元ネタ:Pentagon’s attempt to ban books from base schools faces backlash from military families(PBS NewsHour / 2026年)
「教育方針が政治的理想に乗っ取られるなら、国防総省の学校に子どもを置き続けることは快適ではない」— ジェシカ・ヘニンガー(陸軍配偶者)
2021年以来2万3,000件——禁書はなぜここまで広がったのか
国防総省の動きは、より大きな潮流の一部にすぎない。言論の自由を守る非営利団体「PENアメリカ」の調査によると、2021年以降、全米公立学校での禁書件数は累計2万3,000件を超えた。2024〜25年度だけでも6,870件に達し、約4,000タイトルが対象となっている。
禁書の波を引き起こした構造的要因は三つある。第一に、フロリダやテキサスなどの共和党系州が「センシティブ資料法」「反DEI法」を相次いで制定し、人種・ジェンダー・性に関する内容を含む書籍を学校図書館から外しやすくする法的根拠を整えた。第二に、トランプ政権が就任直後から大統領令を連発し、連邦政府が管轄する学校(軍事基地内の国防教育局)に直接介入できる体制を作った。第三に、地域の保護者グループが組織的に書籍への異議申し立てを行う「運動」へと発展した。
ユタ州は現在、22冊の書籍を全公立学校で禁止しており、全米トップに立つ。グレゴリー・マグワイアの『ウィケッド』、ジョディ・ピコーの『ナインティーン・ミニッツ(19分間)』、スティーヴン・チボスキーの『ウォールフラワー』などが含まれる。カート・ヴォネガット遺族を含む受賞歴のある作家たちが、ユタ州の「センシティブ資料法」に対して訴訟を提起している。
「本を返せ」——軍人家族の反乱と、連邦判事の返還命令
国防総省の措置に対し、軍人家族6組が2026年4月に連邦裁判所に提訴した。全米自由人権協会(ACLU)も学生と家族の代理人として加わり、修正第1条(表現の自由)違反を主張した。
訴えに対し、連邦判事は「実施プロセスは矛盾し、構造化されておらず透明性に欠ける」と述べ、5つの学校について書籍の返却と教科課程の復元を命じた。この決定は全国防教育局校への適用ではないものの、「学生の情報アクセス権は修正第1条で保護される」という原則を司法が確認したことになる。
一方、8州——カリフォルニア、デラウェア、イリノイ、メリーランド、ミネソタ、ニュージャージー、ロードアイランド、ワシントン——は「読む自由法」を可決し、「党派的・思想的・宗教的不承認」を理由とした書籍撤去を禁じた。スタンフォード大学の研究者ケイティ・スプーンは「短期的な効果はあるが、保守的な地区では先制的な書籍除外が増える懸念がある」と分析している。
さらに逆説的な現象も起きている。禁書に指定された作品は売上が急増する傾向があり、オハイオ州では禁書を厳選して届ける定期購読サービス「バンド・ブックス・ボックス」に約250人が加入している。禁止することが、かえって読者の好奇心を刺激しているのだ。
「読む自由」を誰が決めるのか——日本が知るべき問い
日本では「図書館の自由に関する宣言」(1954年、日本図書館協会)が、「図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする」と定めており、政治的検閲からの独立を明文化している。また文部科学省の教科書検定制度を巡っては、歴史的に記述内容への干渉問題が繰り返し議論されてきた。
アメリカで起きていることは、「何を読ませるか」「何を学ばせるか」を国家が決める行為が、民主主義の根幹をどう揺るがすかを問う実験だ。連邦政府が大統領令で直接介入できるモデルが確立されれば、将来の政権がより広範な検閲に使う先例になりうる。
学校で本が読めなくなる——その判断を「誰がすべきか」という問いに、アメリカ社会はまだ答えを出せていない。そしてその答えが、民主主義の健全性を測る指標になるだろう。
参照・原文リンク
- PBS NewsHour:軍事基地の学校図書館の禁書措置に軍人家族が反発(2026年)
- PENアメリカ:国防総省学校で禁止された596冊
- Education Week:州が禁書を禁止している——それは機能するか(2026年1月)
- I Love Libraries:アメリカ禁書チャレンジ最新情報 2026年1月版


